567騒動が始まって、最近ふと、そういえばエイズも突如現れた、感染したら為す術もない恐ろしい病気、触れるだけで移る?とか言われてやたら怖かったことを思い出すのよ。男性バレエダンサーが何人も亡くなったわ。
Bonjour ! 胡桃です。熱烈なバレエ愛好家の私、ジョルジュ・ドンとルドルフ・ヌレエフの死は30年経った今でも何か「おかしい」と思い続けていることです。 それが最近、何と、567騒動を通じてその黒幕が姿を現したようなのです。 この記事では567騒動はエイズから始まっていたと思われる情報をご紹介します。
sommaire/目次
男性バレエダンサーがエイズで亡くなる不思議
20世紀バレエ団のジョルジュ・ドンが1992年に45歳で、パリ・オペラ座バレエ芸術監督だったルドルフ・ヌレエフが翌年1993年に54歳で亡くなりました。
死因は二人ともエイズ(エイズによる合併症とも)と言われています。
1983年頃、567騒動でお馴染みのCDC(アメリカ疾病管理予防センター)は、輸血に注意、また男女ともにセックスを通して感染するという警告を出し、いつの頃からか、ゲイの男性が感染しやすい、というような情報が聞かれるようになりました。
HIVウイルスが人から人へ感染して免疫不全になる、つまり病原菌と戦えない体になってしまう、というような情報が大きく報道されるや、バレエファンならずとも世界を魅了してきた著名なダンサーが立て続けにその病に倒れ、言いようのない悲しみと、「なぜ?」という不信感が残ったのではないでしょうか。
その後も、サンフランシスコバレエ団で被害が多いと聞いたり、そのうちにゲイだけではなく、男女の別なく、誰がそのウイルスを持っているかわからない、というようなエイズの常識がまかり通る世の中になったようでした。
567騒動が始まった頃の人人感染の恐怖と似てるわね
空気感染するかもしれない恐怖を植え付けられた伝染病エイズ。。
昔、映画でラブシーンを演じる俳優さんたちが互いに検査をしたとか、それほどにやたらと「恐怖」を煽っていたように、今の世と重なってくる感じです。
エイズをプロパガンダしたのも567を仕組んだのも、実は出所は同じ。
エイズは実は、無害、問題ないウイルスに過ぎなかった
エイズは空気感染すると言って世界中の恐怖を煽ったのもアンソニー・ファウチ(父はファザーテレサといわれている)で、その後、エイズの一連の恐怖扇動はウソであったことが発覚。しかし現在も伝染病であると言い張っています。もしエイズがなかったことになると、彼は医療界の大君臨から失脚することになるからでしょう。
実際のHIVウイルスの危険につては、ウイルス自体は無害で非常にマイルドなものと判明しています。
ジョルジュ・ドンもルドルフ・ヌレエフも、エイズ治療薬の犠牲に?
しかし、ファウチはエイズの治療薬という名の下に、劇薬を作ったそうだ。それはAZTという薬で、あまりにも危険なため、作った製薬会社もさすがに認可が下りないだろうと思っていたところ、ファウチが強引に認可させてしまった。
本当は無害であるのに、エイズウイルスがあるよと診断された人々はこの劇薬を沢山飲むようになったという。
そして、健康であった何十万人という人が、薬で死に至らしめらることになった。
うわ〜!今の予防接種と言われてるヤツと同じじゃない?
というように、現在の567騒動を通じてエイズという伝染病のウソも明るみに出ようとしているわけです。
ジョルジュ・ドンもヌレエフも、最初は風邪をこじらせたか何かの、誰にでもあるような不調で医者にかかったのかもしれません。
そうね、ダンサーだもの、体調万全にしておかなきゃって、医者に行った・・・
そして今のワと同じく、医師がエイズの劇薬を処方すると莫大な報酬があったのかもしれないね
結論。不世出のダンサーが医療の闇組織に、いとも簡単に人生を閉ざされてしまった。
エイズは567騒動の始まりだった?
こうして見てみると、エイズは今世界で起きていることと全く同じ。エイズは567のリハーサルのようなものだったかもしれない。
ありもしない病原菌で
メディアを使って健康恐怖を煽り
人は無害なはずの人を疑い
不安になり医者にかかった人は薬で病気にされる。
季節性インフルエンザの人がコロナであると決められた。
打った直後に亡くなる人もおられ、何で?と思います。💉にはHIVウイルスが仕込まれているロットがあるらしいと情報がありますが、エイズウイルスが無害であるとすると、いったい何が入っているのか?
ヌレエフ版ラ・バヤデール
ルドルフ・ヌレエフは1980年にパリ・オペラ座バレエ芸術監督に就任。
同じ頃に世界でキラ星のようなダンサーが才覚を現し、世界は奇跡のようなバレエの黄金時代を迎えます。
ヌレエフはのちに黄金時代の担い手となったマニュエル・ルグリ、エリザベット・プラテル、ローラン・イレール、イザベル・ゲラン、そしてシルヴィ・ギエムたちを見出しました。
しかし芸術監督就任後間もなくエイズと診断された。パリ・オペラ座とエイズ・・・何があったのでしょう。
1992年、パリ・オペラ座では秋のシーズン開幕公演として、ヌレエフ版「ラ・バヤデール」初演に向かいます。この年、衰弱してゆくヌレエフは悲願の全幕(ヌレエフ版は寺院崩壊の場面なし)上演を実現し、翌1993年、影の王国から帰らぬ人となります。
ラ・バヤデールのリハーサル中も、ヌレエフは日毎に衰弱してゆき、命の炎を燃やし続けているようだった(当時の芸術監督ブリジット・ルフェーブル)と伝えられています。
DVD「ダンサーズドリーム」のラ・バヤデールにその様子を見て取れますが、初演のカーテンコール時に衰弱したヌレエフが体を支えられながら舞台に現れ、まさしく彼の壮絶な芸術人生に幕を降ろすかのような姿でした。ヌレエフの生涯のあらまし
567騒動で二人の死の謎が解けたなんて・・・命の火が消えようとするヌレエフはバヤデールの影の王国を、どんな気持ちで振り付けたことでしょう・・・
バレエを愛する者として二人の当時の状況を知りたいし、真相が世に知らされる日が遠くないことを信じたいです
重要:フルロナだって?567最近の関連資料
ファウチの正体とエイズの真相についてはこちらの動画をご覧ください。聞きやすくわかりやすいです。
Merci et à bientôt !
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